Being Weird Is A-OK
I often sketch at a place which is not a popular drawing location. In famous shrines and temples in Kyoto, for example, you'd always find a bunch of people drawing and that is understandable. But if you see someone sketching on a nameless alley or at a small local (not instagenic) cafe in your neighborhood, you might wonder why. If you are the sketcher, you might worry if you're looking weird. Well, I think myself I'm weird, picking up something that no one pays attention to, and observing and drawing it. But, so what?
何でもない、誰もスケッチしないような場所でスケッチをするのが好きです。例えば京都の有名な寺社仏閣なら絵を描いている人を必ず何人か見かけるでしょう。けれども地元の名もない通りやインスタ映えしない小さな喫茶店で誰かがスケッチしていたら、ちょっと不思議に思うかもしれません。あなたが描いている張本人なら、自分が周りに変に見えていないか気になるかもしれません。わたし自身ちょっと奇妙だと思いながら描いていることがあります。誰も関心を払わないものを観察しスケッチしている自分に。で、奇妙だとして、それが何だというのでしょう。
Two sketches from nowhere... |
そもそも誰のためでなく自分が楽しくて描いているのなら、周りがどう思うかはまったく気にする必要がないのですが、この最も単純なことが最も難しかったりするものです。
In the second place, most people wouldn't think you are weird. They are more just curious. I even think they somewhat envy sketchers, not only for the drawing skills but for the "weirdness" – having the urge to document what's around us and the ability to capture the place and moment (I once wrote about this privilege of sketchers here).
周りの人たちも奇妙だ、変だとばかり思っているわけではないでしょう。目の前の景色や体験を絵として切り取り、ドキュメントすることに興味をもってくれたり、いいなあと感じてくれたりする人もいます。なんなら、このスケッチャーの特権をみんな本当は羨ましくさえ思っているのでは?
今回のこの唐突な投稿のアイディアは、このスケッチをしている時に思いついたものです。これは飯田橋駅近くの外濠公園から見える景色で、外濠にせり出したカナルカフェのテラスやボートが描きたくてスケッチしました。40~50分くらいいたと思いますが、その間に20~30人程度の人が通り過ぎていき、何人かは少しの時間立ち止まっていました。理由は様々です。ただスマホで何かメッセージのやりとりをしていたり、電車が走るのを眺めていたり。途中、二人の女の子が来て、カナルカフェのことを話していたり。5分以上留まっている人はいませんでした。外濠公園は桜の季節はさぞかし美しく、賑わいもあるのだと思いますが、今はまだ枝が枯れており、特別絵になるようなものはありません。それでも春めいてきた陽射しを感じて通り過ぎる人たちの会話を聞きながらスケッチするのは楽しい体験でした。何でもないところでスケッチをするのはたしかにちょっと奇妙かもしれません。それで何だというのでしょう。描きたい気持ちと楽しんで描いている実感があれば、それでOK、なんにも問題はないのです。
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