Meet your USkJ friends : interview with TETSU


上:神田エキュート万世橋でスケッチするTETSU(誉田哲朗)さん。

今回ご紹介するTETSUさんは協同組合日本イラストレーション協会(JILLA)の理事をされていて、2008年当時スケッチ会といえばJILLA繋がりのイラストレーターの参加が多かったのですが、そもそも私が頻繁にスケッチをするきっかけとなったWorld Wide SketchCrawlと言うイベント(WWSC)に誘ってくれた人です。WWSCをきっかけに世界中のスケッチャーとのオンラインでの繋がりが生まれ、海外から日本を訪れるスケッチャーさんが、私たち(当時東京チームと呼んでいましたが)にスケッチ会しましょうと連絡をくれる機会が増え、(長い話を短くしますが)結果としてUSkJを立ち上げようと言う話に繋がる、最初にUSkJ畑を耕した人です。


上:2013年、神田エキュート万世橋でのWWSCで。スケッチするKenさん, TETSUさん, Tashaさん (by Kumi)






TETSU:
【スケッチクロールとの出会い】
僕のアーバンスケッチャーズ参加までの軌跡は、World Wide Sketch Crawlという、2004年から始まったイベントに参加したことがきっかけです。WWSCとは、ピクサーアニメーションスタジオのエンリコ・カーサロッサ氏が「世界で同日にそれぞれのエリアでスケッチをしてネットで見せ合おう」と呼びかけたことから始まりました。カーサロッサ氏は奥様が日本人なこともあり、第一回WWSCでは京都の地をスケッチしています。第2回以降、日本では、米国のニコロデオン/ピクサーとのつながりのあった北海道のアーティスト伊藤マーティ氏が主導する形で、札幌のセッションがレギュラー化しました。彼曰く「ディズニーのアニメーター達は、アメリカでは頻繁に街中でのスケッチクロールを行なっており、その活動が多くのアイデアブラッシュの基礎になっている。また、その作品の多くは「Sketch Book」として、米国のComic Conventionなどで紹介されているし、日本人もそこで海外に売り込める」と伊藤氏は教えてくれました。これに影響を受けた東京のイラストレーターが呼応する形で、2008年以降、伊藤氏の依頼によりディズニーとの縁が深かった僕をはじめとして、東京でのレギュラー開催が定着。2015年くらいまで、中心の一人として参加しておりました。もちろん僕も、仕事で、多くの地域創生やアミューズメント関連・ゲームの未来のイマジニアリングに関わっておりましたので、スケッチを続けた事により、イメージを素早く掴み、描く技術が役に立ったことは言うまでもありません。

これとは別に、当時の東京チームは話合いを重ねながら、以下の目標を設定しています。(日本文化を海外の方に紹介出来る場所を描く。/今の日本がわかるスケッチも入れる。)これらの目標は、海外スケッチャーの日本のスケッチクロールへの高い評価に寄与したと感じました。理由はWWSCでのTokyoの閲覧数、サポートの多さでした。比例するように、海外のお客様をスケッチ交流を通じてもてなす機会が多くなりました。ほとんどのスケッチクロールで海外の方がおられたことがそれを物語ります。その良い部分は、松川久美さんやUSkJを運営している方々の努力によって、現在に受け継がれていると感じています。





【アーバンスケッチャーズとの出会い】
2010年あたりから、プロ・アマ問わない楽しむイベントとしてのWWSCを世界各国の主要都市で運営するメンバーがUrban Sketchersに所属しているケースが多く見受けられるようになります。それに呼応した形で、日本ではWWSC Team Tokyoのスケッチャーと松川さんが中心となって、UrbanSketcher’s Japanが結成されます。USkにはマニフェストに則った独自のガイダンスがあり、それが、当時の日本に浸透する事の難易度を上げていました。ちょうど時期を同じくして、僕自身の身辺も激動していました。広告不況や東日本大震災、そんな中、主催する協会が国の認可団体になり、その責任者として慣れない団体運営と並行してスケッチをし続ける持続力が失せ、参加できない時期が増え、名前を置いてもらうだけの期間が何年か続きます。2019年、久しぶりに参加したUSkJでは新しいメンバーが生き生き参加して、スケッチを語り合い、楽しんでいて、松川さんと新メンバーが作ってくれた新しい環境で今は楽しくリハビリ中、といったところですが、以前とは違った、たくさんの海外経験を持ち寄っている現在の環境は、本来のUSkJの目指す形に、より近いのかなと感じています。


【これからやってみたいこと】
僕はスケッチクロールの頃に海外から評価を受けた「日本のスケッチ」の文化度と多様性をUskJに、少しでも引き継げたら今までの活動の意味があるのかなと感じているところです。また、新しいデジタルデバイスを使って、スケッチという行為の面白さを色々な人に伝えるためのプロセス動画などの制作にも取り組んでみたいと思っています。シドミード、若冲、アレックス・ロス、国芳、北斎といった尊敬する先人も、ずっと、スケッチを続けて生涯の画業を磨いていましたので、これからも、研鑽の一つとして、ロケーションスケッチを楽しめればと思っています。

【好きなスケッチャーは誰?】
二人挙げますが、一人目はUSkJapanの松川久美。僕と同じ美術大学出身の彼女は全く違ったアプローチで洗練されたスケッチをするので、ずっと尊敬するスケッチャーです。僕は、構造的なイラストレーションを多く手がけてきたこともあり、線とシルエットを正確に取らなければ気が済まないところがあって、最初の頃、早く描けませんでした。彼女は絵として成立させるのに必要な情報の選び方、必要でない情報の捨て方のとても上手なスケッチャーで、一緒に描く中で、目に見える情報の扱い方について、とても刺激をたくさん受けてきました。二人目は北海道の伊藤マーティ。彼は僕をスケッチの世界に引き込んだ張本人でもあります。彼の暖かいドゥードゥルアートをベースにしたキャラクター化された世界の切り取り方は、スケッチはエンターテイメントだと僕に実感させてくれました。最近は札幌での活動が中心で、作品を見る機会が減りましたが、大好きなスケッチャーの一人です。

【僕のスケッチとお気に入りの道具】
僕はアナログスケッチの場合、描き始めに集中力を上げるスイッチを入れたいので、画材は良い物にしています(失敗できないからよく見よう、とか粗末に描くともったいないなど思えるという理由で)。モレスキン/シュミンケ水彩/ウィンザーニュートンの水彩筆/ナムラの日本画面相筆/パンパステル/signoの白ボールペン/カランダッシュルミナンス色鉛筆の黒を愛用しています。
デジタルスケッチを始めたので、ipad-proとapple pencil、Adobe Frescoも新しいパートナーです。どんな画材を使うにしても、何かワクワクする、新しい色や表現との出会いを期待しています。







以上TETSUさんでした。

USkJができて数年はWWSCの年に4回あったスケッチマラソン(とも呼んでいました)で、ほぼ朝から夜までスケッチしまくったり、海外からのゲストが来るタイミングでランダムスケッチ会をしていましたが、それで親しくなった海外からのスケッチャーさんが、度々スケッチ会に合わせて再来日(ある人はすでに6回も)するケースもあり、その時にTETSUさんがスケッチ会に現れないときは残念そうにTETSUは来ないの?と聞かれたものです。近年またスケッチ会にカムバックされる機会も増え、また以前のようなおもてなしスピリットと求心力のあるお人柄と、TETSUさんの新しい取り組みとしてのデジタルスケッチ、タイムラプス動画投稿などで、また多くのスケッチャーの関心を引き寄せてくれるのではないかと期待しています。


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